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正信偈の解説と現代語訳

正信偈の意味【三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦】全文現代語訳

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現代語訳

菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

この度は、正信偈「三蔵流支授浄教 焚焼仙経帰楽邦」について意味を分かりやすく解説します。

語句説明

三蔵流支・・・北インド出身の人。三蔵とは仏教のお経、戒律、論の3つに詳しい人のこと。

浄教・・・浄土の教えのこと。『仏説観無量寿経』か『浄土論』であると推定される。

仙経・・・道教の書で陶弘景より与えられた不老不死の仙術が書いてある本

楽邦・・・安楽な世界のことで、浄土のこと。

曇鸞さん、もらった仙経焼き捨てちゃったね
不老不死の妙術と言っても、死なない命なんてないからね
だれか必要な人にあげたら良かったのに

正信偈の原文

三蔵流支授浄教
さんぞうるしじゅじょうきょう
焚焼仙経帰楽邦
ぼんじょうせんぎょうきらくほう

正信偈の書き下し文と現代語訳

【書き下し文】三蔵流支、浄教を授けしかば、仙経を焚焼して楽邦に帰したまひき

【現代語訳】菩提流支三蔵から浄土の経典を授けられたので、仙経を焼き捨てて浄土の教えに帰依された。

正信偈の分かりやすい解説

仙経を必要とした理由

曇鸞大師は北魏で大乗仏教を深く学んでおり、四論宗のすぐれた学僧として有名でした。その名声は、南方にも広く知れ渡っていました。曇鸞大師は、たくさんの人に仏教の教えを正しく伝えたいと思い、志を立てられ、『大集経』六十巻という膨大なお経の註釈の作成に取りかかりました。とても難解なお経であったと言います。

ところが、熱心に研究・作成に打ち込まれたせいか、病気となり註釈の作業を中断せざるを得なくなったのです。この時、曇鸞大師はすでに五十歳、完成させずに終わってしまっては仏法に対しても、完成を心待ちにしている人に対しても、本当に申しわけない気持ちになりました。

そこで、仏法をきわめ、また『大集経』の註釈を完成させるには、すぐにでも健康な心身と長寿を得なければならないと思い立ちました。このため、自分の健康と長寿のために神仙の術を学ぼうと思われました。

当時、南方には道教という宗教の指導者で、陶弘景という人がいました。この人は、医学や薬学の大家であり、長寿の秘訣を教える仙人として有名でした。中国の北魏におられた曇鸞大師は、はるばる南の陶弘景の所に趣いて、長生不老の術を学ばれました。

やがて曇鸞大師は、十巻からなる仙経、すなわち長生不老の術を説いてある道教の経典を陶弘景から授けられ、喜び勇んで北へ帰られました。

途中、都の洛陽に立ち寄ると、ちょうどインドから三蔵法師の菩提流支という僧が来ていて、お経の翻訳をしながら、中国の僧侶を教導していました。

ポイント

仙経とは、長生不老の術→やがて死ぬ命
『仏説観無量寿経』とは、仏になり死なない命

中国
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三蔵とは

経・・・お経について詳しく
律・・・戒律について詳しく
論・・・注釈書に詳しい
この「経律論」が備わった人を三蔵という

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仙経を焼き捨てた理由

曇鸞大師は、洛陽で教導していた三蔵法師の菩提流支にお会いになり、誇らしげに自分は長生不老の術を学んできたばかりであることを告げました。そして、インドにこのような術はあるのかと尋ねると、菩提流支三蔵、唾を吐き捨てて「何という愚かなことだ」とばかりに、叱りつけました。そして『仏説観無量寿経』を授けて、阿弥陀仏の救済について曇鸞大師に教えました。

曇鸞大師は、阿弥陀仏の教えに触れることで、長生不老というものは愚かな欲望に過ぎないことに気づかれました。そして、曇鸞大師自らが大切にしておられた仙経を惜しげもなく焼き捨てたと言われます。たとえ100年や200年の長寿を得たとしても、人はやがて死を迎えます。人として生まれてくることは偶然ですが、死は必然です。この世の縁が尽きれば、この世から去らなければならないのです。

曇鸞大師は、菩提流支三蔵によって、無量寿ということ、仏になり無量の命になることに気づかれました。そして、無量寿仏、すなわち阿弥陀仏によって浄土に往生する信心を得られました。

「楽邦」とは、お浄土のことです。仙経を焼き捨てたということは、自らのはからいを捨てたこと、自力を捨てたという事です。そして、『仏説観無量寿経』に出会い、阿弥陀仏の真実の教えに出会われ、帰依されたということは、阿弥陀仏のはたらきに身を任せ、他力に帰依したということになります。

正信偈の出拠

『続高僧伝』すなわち『観経』をもて、これに授けて曰く、「これ大仙の方なり。これに依りて修行せば、まさに生死を解脱するを得べし」と、鸞、ついで頂受し、もたらすところの仙方は並びに火もてこれを焚く。

 

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